平成25年の門前掲示


平成25年12月の門前掲示


キミは地球という所に来たんだよ。たのしめよ!

 2012年「高橋手帳大賞」の入賞作品です。
 入賞者の言葉です。
 「私の出産に立ち会った息子(当時小2)が、生まれたばかりの娘に言った言葉。生まれたての赤ちゃんは、まるで宇宙人みたいに見えたのでしょうか?」

 地球外に生物はまだ発見されていませんが、その確率は大変低いものだそうです。又、地球上にはわかっているだけで125万種の動植物がいるそうです。
 人間に生まれてくる確率も大変なものです。また今の私がこの地球上に生まれてきた確率というのも、天文学的な奇跡的な確率といえるでしょう。

 道元禅師も「人身得ること難し」とおっしゃっています。せっかく人間として地球に生まれてきたんです。楽しみましょう!




平成25年11月の門前掲示


握り拳で握手はできない

  ガンジー(モハンダス・カラムチャンド・ガンディー)の言葉です。ガンジーは、インドの独立運動を指揮した人物で、「非暴力、不服従」を提唱したことでも有名です。

 いつまでも握り拳でいては、握手をしてもらえません。握り拳を開いて握手をしましょう。
 心を閉ざしていては会話はできません。心を開いて会話をしましょう。

 「握れば拳(こぶし)、開けば掌(てのひら)」という言葉もあります。同じ手でも握れば人を殴る拳となるけれど、開けば人を優しくなでる掌となるし、みんなと仲良く握手もできる。手を開けば心も開くし、人生も広がってくる、ということです。(サンリオ 人生が変わる日本の言葉100より)



平成25年10月の門前掲示


明るい言葉は人の鼓膜を明るく震わせる

 村上春樹さんの小説「1Q84」に出てくる言葉です。
 意識のない父親のいる主人公天吾に対し、看護婦はこう言います。
 「看護婦になる教育を受けているときにひとつ教わったことがあります。明るい言葉は人の鼓膜を明るく震わせるということです。明るい言葉には明るい振動があります。その内容が相手に理解されてもされなくても、鼓膜が物理的に明るく震えることにかわりはありません。だから私たちは患者さんに聞こえても聞こえなくても、とにかく大きな声で明るいことを話しかけなさいと教えられます。理屈はどうであれ、それはきっと役に立つことだからです。経験的にもそう思います」

 普通の生活の中でも、暗いことばかり言ってしまいがちですが、それでは言っている方も聞いている方も暗くなってしまいます。
 どうぞ、是非、明るい言葉で話しましょう。

 余談ですが、私はお通夜の時に、「故人はまだ耳が聞こえています。是非大きな声で話しかけてください」という話をします。実はグリーフケアのひとつとして始めた話なのですが、実際はじめてみると、ご遺族のなかに、話しかけたことで、ご遺体の目がぱちっと開いたとか、涙を流したなどという話がでてきました。科学的にどうなのかわかりませんが、私は本当に聞こえている気がしてなりません。



平成25年 9月の門前掲示


好きな事ばかりやっているから 嫌いな事がいつまでも残るのだ

 夏休みが終わりました。
 私が小学生だった頃、夏休みの宿題の、簡単だったり楽しかったりする所だけを先にやってしまい、難しかったり面倒だったりする宿題は最後まで残し、毎年困ったものでした。

 村上春樹氏の小説、「ノルウェイの森」の中の登場人物小林緑のセリフに、
 「人生はビスケットの缶だと思えばいいのよ」
 というのがあります。
 「ビスケットの缶にはいろんなビスケットがつまってて、好きなのとあまり好きじゃないのがあるでしょ?それで先に好きなのをどんどん食べちゃうと、あとあまり好きじゃないのばっかり残るわよね。私、辛いことがあるといつもそう思うのよ。今これをやっとくとあとになって楽になるって。人生はビスケットの缶なんだって」

 やらなくてはならないけど、先のばしにしている事って、たくさんありますよね。そして、それは誰も片付けてくれません。いつまでも残っているのです。自分でやるしかないんです。
 がんばってどんどん片付けてしまいましょう!



平成25年 8月の門前掲示


自分は少しも手を汚さないで、外側から無責任な批判だけしてはいけない

書家の相田みつをさんの師、武井哲応老師の言葉です。

相田みつをさんは、次のように回顧しています。

 「最近の寺は、やれ拝観料だの、入園料だの、といって万事かねかねで、すっかり観光ずれしちゃいましたねえ・・」
 ある時、お茶のみ話のついでに武井老師に話しかけました。
 すると老師は、「あいだ君な、君はここへきて中途はんぱに『正法眼蔵』など読んだから、自分だけの立場で、軽々しく観光寺なんてことをいうけれど『自分が責任者として、その寺のどまん中に坐った、としたらどうするか?』と、その立場に立って物を言わなければいけない。自分は少しも手を汚さないで、外側から無責任な批判だけしてはいけない。きれいごとだけでは、あの大きな寺の、瓦一枚換えることが出来ない。何もかもちゃんと分かっていてもね、時には濁らなければならぬこともあるんだよ。物の片面だけ見てね、無責任なことをいうもんじゃない。」と、厳しく叱られました。

 ぐっとくる言葉です。
 今、鳳林寺では、本堂・庫裡の新築工事を行い、寄付をお願いしていますが、「お寺は金のことばかり言う」などという批判がありました。
 でもね、武井老師のおっしゃるとおり、きれいごとだけでは本堂は建ちません。かねかねと言わなくてはならない立場と時期があるのです。それをわかっていただきたかったです。

 今、私たち地元では、自治会長や民生委員など、地域活動の役員のなり手がおらず、大変困っています。私の所属している消防団もそうです。一方で、「消防団は、酒ばっか飲んで」などという批判はしっかりされます。
 消防団を批判したいなら、一度消防団をやってみて、その上で批判をするならいい。消防団に入らず、またはちょっとやってすぐやめて、どんな活動をしているのか全然見ずに、無責任な批判をされたくないです。

 どんなことでもそうだと思います。その立場に立ったら、いやでも言わなくてはならない事がある。いやでもやらなくてはならないことがある。きれいごとではすまされない。時には濁らなくてはならないことだってある。物の一面だけを見て、無責任な批判をしないように気をつけたいものです。



平成25年 7月の門前掲示


どんな事も、七世代先まで考えて、決めなければならない

 北米大陸先住民、イロコイ族の格言です。
 「七代」といえば、日本にも「坊主謗れば七代たたる」なんてことわざがありますね。不謗三宝戒の罪の深さを示したことわざだと思います。
 さて、七世代...一世代を20年と考えても140年ですね。まあ具体的に「七世代先」をいうのではなく、「ずっと先」ということを言っているのだと思います。

 私たちは、ともすると目先の欲にとらわれがちです。今の自分の損得、今の通帳の残高、今の自分の成績にとらわれてしまいます。
 しかしそんな考えではだめだということです。100年後、200年先の子孫の事まで考え、広い考えで、判断をしたいものです。

 鳳林寺も現在本堂を新築し、まもなく庫裡部分の工事も開始します。これらの工事は、過去数百年の歴史を踏まえ、100年、200年先を見据えて設計したつもりでいると自負しております。
 これからもみなさまのご理解とご協力をおねがいします。みなさんの力で鳳林寺をより良いお寺にしていきましょう。



平成25年 6月の門前掲示


「あ、出口だ」「入口だよ。未来の。」

 トヨタ自動車のCMからです。
 トンネルを抜けたところで、北野武が「あ、出口だ」というと、ジャン・レノが、「入口だよ。未来の」と言います。
 良い言葉です。

 結婚式の披露宴などで、「ゴールイン」という言葉が使われることがありますが、「ゴールイン」じゃないですよね。「スタート」ですよね。

 終わりなんかありません。常にスタートなのです。



平成25年 5月の門前掲示


「いつやるか? 今でしょう!」

 大学受験予備校の「東進ハイスクール」で、現代語講師をしている林修氏の言葉です。テレビのコマーシャルで有名になりました。

 このCMでは、様々な講師が、短い話をし、最後に、林氏が「じゃあいつやるか?今でしょう!」と言うのですが、他の先生が4秒程度話すのに対し、林氏の出番は、わずか2秒。
 たった2秒で、視聴者の心をつかんだ。この言葉の力は強いと思います。

 私の高校時代の担任の先生もよく、「あとでやるなんて言ったってどうせやらないでしょ。だからすぐやりなよ」 と言っていました。
 過去にこだわったり、あとでやろうと思ったりすると、今がおろそかになります。

 実は仏教の極意をついた良い言葉だと思います。




平成25年 4月の門前掲示


「私たちは、年々老いていくのではなく、日々新しくなっていく」

 新年度が始まりました。我が子も進級し、新入社員もはいってきて、私もまたひとつ年を取ったなぁ...なんて思ってしまう人もいるでしょう。

 仏教には「日日是好日」という言葉があります。
 「今日は良いことがあったなぁ」とか「イヤなことがあったなぁ」などという、拘りや囚われをさっぱりと捨て切って、その日一日を只ありのままに生きる楚々とした境地を表した言葉です。ただひたすらに生きれば、全てが好日という事です。

 みなさんも、毎日毎日生まれかわったんだ、新しい自分なんだ、という気持ちで過ごしてはいかがでしょう。



平成25年 3月の門前掲示


「人が死んだ後に残るものは、集めたものではなく、与えたものである」

 ジェラール・シャンドリという方の言葉です。

 まさにその通り。  金銭や物ばかりでなく、親切な気持ちも、欲張らずに施そう。



平成25年 2月の門前掲示


「ありがとうの 輪を 広げよう」

 地元小学校が1月〜3月の生活目標として使っている標語です。良い言葉なので使わせていただきました。

 「情けは人のためならず」ということわざがあります。人に情けをかけるのは、その人のためになるばかりでなく、やがてはめぐりめぐって自分に返ってくる。人には親切にせよという教えです。(誤用諺としても有名ですね。情けをかけるのはその人のためにならない、という用法は誤り)

 人に親切にしてもらったら、その人にはもちろん、他の人にも親切にしたくなるものです。そんな「ありがとうの輪」を広げることができると良いですね。

 鳳林寺では、5年前から伽藍(本堂・位牌堂・庫裡)の工事をおこなっています(まだ工事中です)。この工事に当たり寄付を募ったところ、8割を超えるお檀家様からご寄付を戴くことができました。お寺としてお檀家様に感謝です。そしてお檀家さま、その親せきの方、ご近所の方など、お寺を使っていただいた方からは「こんな立派な本堂を建ててありがとうございます」という声をたくさんいただくことができました。建設の工事を請け負ってくれた業者さんにも感謝。業者さんからもお寺に対し「歴史に残る建物をつくることができ、感謝しています」との言葉をいただきました。こういうのも「ありがとうの輪」が広がったなぁと感じます。



平成25年 1月の門前掲示


「人生はらせん階段だ。同じ所を回っていると思っても、上に登っている」

 新年になりました。輝かしい1年のはじまりです。

 ...なんて言っても、私は同じ所の堂々巡り。朝起きて満員電車にゆられ会社に行って上司にはおこられ部下は思うように動いてくれず、帰ってきたら冷めた夕食ともっと冷めた女房がいて...給料も上がらず、貯蓄も増えず...
 などと言う声が聞こえてきそうですね。

 同じ事のくり返しのようでも、昨日と全く同じ日はもうきません。失敗したらやり直し、同じ失敗は2度繰り返さないように気をつけるでしょう?それだけ前に進んでいるのです。上に登っているのです。



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