考えて行動しよう 言って良いこと悪いこと やって良いこと悪いこと 先日、小学校1年生になる息子の、学習発表会があり、見学しに行ったら、1年1組の黒板の上に、以下のような言葉が掲げられていました。 言っていい時 わるい時 言っていいこと わるいこと やっていい時 わるい時 やっていいこと わるいこと この言葉、当たり前のことだけど、とても大切な事だと思います。小学校1年生ばかりでなく、私たち大人も肝に銘ずるべき言葉だと思います。 残念な事に、こんな当たり前で簡単な事が、できていない大人が増えています。「モンスターペアレント」とか「暴走老人」などという呼び名まで発生しています。 みなさんも、きちんと考えてから行動してください。 |
失敗も また 美しい 鳳林寺の近くにある「草薙神社」では、毎年9月に「龍勢」が奉納される。 「龍勢」というのは、駄菓子屋などで売られているような「ロケット花火」を巨大化させたような形状で、約15mの高さがあり、軸に孟宗竹を使用している。「ロケット花火」と違って、本体をパラシュートで落下させながら、様々な「しかけ」を楽しむ。「龍勢」は、自治会単位で製作され、夕方明るい時間と夜暗くなってからそれぞれ10本くらいずつ上がる。一般市民が作るので失敗が多い。 さて先日、私も所属している「草薙すくえあ」が主催して、未来に残したい草薙の風景を写真に撮ったものを一般公募し、展示するという企画をおこなった。 その写真の中に、失敗した龍勢の写真があった。発射台で上がらないまま爆発した龍勢を撮影したものだった。順番に出るはずの「しかけ」も、いっぺんに飛び出し、様々な色の煙がでていた。これまで「龍勢の写真」というと、成功して大空に舞うものばかり見てきたが、このように失敗したものを捉えるというカメラマンの視点に驚いた。それと同時に、失敗しているのに、なんて美しいんだ、と感動した。年に1度の「龍勢」で、作る人たちも真剣だったろうに、失敗してしまうはかなさ、一方で本体からエネルギッシュにあふれでる「しかけ」。その対照にまた感動させられた。 この写真をみた「草薙すくえあ」編集長の言葉が、「失敗もまた美しい」だった。 「失敗は発明の母」という言葉があります。発明王・エジソンは、竹のフィラメントを発明するまで1万回失敗しても挫折せずに努力し続けました。 失敗は成功の元。失敗をおそれてはいけません。 最後に、エジソンの言葉。 「私は失敗したのではない。うまく行かない方法を発見したのだ」 |
正しい眼・耳・心で 観よう 聴こう インターネットをはじめ、世の中には、テレビ、ラジオ、新聞、雑誌、広告、噂、デマなど、様々な情報で満ちあふれています。 そして、当然のことながら、これらの情報が全て正しいとは限りません。 正しい眼と耳、そして心で、情報を整理しなくてはなりません。 誤った情報に惑わされないためには、常に自分が正しい心を持っていなくてはなりません。 正しい眼と耳と心で情報に接してください。 |
高くジャンプするために しゃがむ 先日、静岡市内を散歩していたら、小学校の塀に、この言葉がかかれていました。 なるほどなぁ、と思いました。 「高くジャンプする」と「しゃがむ」は全く逆の事です。でも、高くジャンプするためには、一度しゃがまなければなりません。しゃがんだ足をバネにすることで、高く飛ぶことができるわけです。 高く飛びたければ、一度しゃがんでみることです。そして、今はしゃがんでいるアナタ、その足をバネにすれば、高く高く飛ぶことができるはずです。 |
かなしいね こころが よごれるのは 小学1年生の私の息子が、学校で覚えてきた詩の一部です。トイレの壁に貼ってあるのを覚えてきたようです。 全文は「おてんとうさまは みんな おみとおしさ よきこと わるいこと かなしいね こころが よごれるのは」です。 良い詩です。 おてんとうさまは、どんなことも、みんなおみとおしですよ。 |
真実は 沈黙において 光る 周囲のざわつきに気をとられていると、真実を見失ってしまいます。 迷い出すと、薬も毒にみえてしまいます。 真実はたったひとつです。静かなところでじっくり考えればこそ、真実に気がつくことができます。 |
ひたむきな 姿は 美しい 今、テレビで、木村拓哉さん主演の「CHANGE」というドラマを放送しています。 国会議員の父親とその後継者の長男が事故で死亡し、担がれて仕方なく立候補した次男が国会議員に当選し、すぐに総理大臣になってしまうという話。さて、総理大臣になってしまった朝倉(木村拓哉)は、常に一生懸命に物事に取り組んでいきます。そんな姿に、周囲の政治家や官僚たちがが心動かされていくわけです。 一生懸命に何かに打ち込む、という姿は美しいですし、人を惹きつけ、動かす力があると思います。 |
ゆたかに かかわる 私の息子が今年、小学生になりました。 小学校には「年間目標」というものがあり、私の息子が通う小学校の今年度の目標が「豊かに関わる子」なのだそうです。 良い標語だと思いました。 最近、こどもどうしの関係が希薄になってきています。お友達の家に遊びに行っても、目は友達の顔ではなく、ゲームの画面ばかり見ていて、話すらしない、という話も聞きます。これでは一緒に遊んでいるとはいえません。 子供ばかりではありません。大人どうしでも、人間関係が希薄になってきています。ご近所どうしで些細な事でムキになって言い争いをする中高年が増えてきているそうです。「暴走老人」などという言葉もあるそうです。私自身、そういう「暴走老人」を目の当たりにした時、「どうしていい大人がこんなにムキになって言い争いをしたり、自己主張したりするのか」と疑問に思いましたが、これも普段のおつきあいが浅いため、お互いにトラブルの対処の仕方(つまりケンカのしかたと謝り方)を知らないからなのだと思います。 普段から「豊かに」関わりあうことで、お互いの性格などがわかっていれば、大きなトラブルには発展しないでしょう。 心と心を通い合わせる豊か関わりあい、とても大切な事だと思います。 |
足踏みをしていても 靴は減る 「高橋の手帳」が募集している、「手帳大賞」第11回受賞作品からの引用です。 どうしようかと考えていただけでは先に進むことはできません。 足踏みをしていても、靴は減ってしまいます。一歩前へ踏み出す勇気を。 |
徳孤ならず 必ず隣あり 孔子『論語』からの引用です。 徳のある者は孤立することがない。必ず類を同じくする有徳の人が現れて援けるものである。 ひとりじゃない。必ず仲間がいる。 |
死は生の対極としてではなく その一部として存在している。 私の大好きな作家、村上春樹の「ノルウェイの森」からの引用です。 人が死ぬと、この世の人ではなく「あの世」の人になる、つまり「死」と「生」は対極のものと考えがちですが、ここでは「一部である」と書かれています。 人は必ず死にます。死なない人などいません。生きている以上、死がついてまわっているわけです。また、私たちは親族や友人の死とともに生きています。親族や友人が死なない、なんてことはありません。そう考えると、死は大変身近な存在に思えてきます。「対極」だとはいえませんよね。 村上春樹はこの言葉に続けて、次のような事も書いています。 「我々はそれ(死)を、まるで細かいちりみたいに肺の中に吸い込みながら生きているのだ。」 2月15日は「涅槃会」、お釈迦さまがお亡くなりになったご命日です。みなさんで、生死について静かに考えてみてはいかがでしょうか? |
繁栄は凋落の兆し 歴史をひもとけば、わかる事ですが、常に繁栄している国家というのはありません。繁栄があれば、必ず凋落があります。また、繁栄を支えてきたものが、凋落の原因になっていることに気づくでしょう。繁栄こそが凋落の兆しなのです。ご用心を。 今の日本は繁栄といえるでしょう。しかし、心が置き去りにした繁栄といえるでしょう。心を忘れた繁栄は、決して長続きしません。必ずつまづく時が来ます。そうなる前に、今こそ、心について考えてみる時期に来ているのではないのでしょうか。 |