立ち止まることも ひとつの「動き」である 手帳のメーカー「高橋」では、毎年「手帳大賞」の募集を行っています。「手帳大賞」とは、ふとした会話の中で相手が言った意見やアドバイスに「うまいこと言うなぁ」と感心し、思わず手帳にメモしたくなるような身近な人の名言・格言を募集し、大賞を決める、というものです。 先日、手帳を買ったら、2004年の「手帳大賞」受賞作品がちらしとしてはさみこまれており、その「大賞」が、この言葉でした。 忙しく働いたり勉強したり遊んだりすることも大切ですが、時には立ち止まってみることも大切だと思います。 |
許すのはいい 忘れるのは更にいい 嫌なことをいつまでも覚えているのは苦しいことです。 相手を許すことができれば少しは楽になります。さらに、すっかり忘れてしまえば、もっとすっきりしますね。 イヤな思い出は忘れてしまうのがイチバンです。 |
私の眼は2つしかないが、あなたを見る眼は無数にある 「誰も見ていない」と思っても、誰かに見られているものです。 誰が見ているかわかりません。悪いことはできません。 そして、誰も見ていなくても良いことをしているアナタ、きっと誰かが見守ってくれていますよ。 |
われわれは短い時間をもっているのではなく、実はその多くを浪費しているのである ローマの哲人、セネカの言葉です。 私はこの言葉を知って、反省しきりです。 「時間がない」「忙しい」などと思っていても、実は時間を有効に活用していないことが多いんですよね。 私は毎日日記をつけていますが、一日を振り返った時、書くべき事が何もない事があります。そういう日って、忙しいと頭で思っているだけで、何もできていないんですよね。 先月の門前掲示板で紹介した静岡県立大学教授、高木桂蔵氏は、小中学校時代、学校に通うのに歩いて片道4時間もかかったそうです。その間、首からラジオをぶら下げてその放送を聞いていたといいます。ラジオ体操を聞いている時は、歩きながら体操して、NHKの外国語講座を聞き、落語や講談などを聞きながら通学したそうです。 そういう積み重ねが、話し上手で、知識豊富、様々な国の言葉に堪能な高木教授にしていったのでしょう。 セネカの言葉の続きです。 「人生は十分に長く、その全体が有効に費やされるならば、最も偉大なことをも完成できるほど豊富に与えられている」 |
お墓の向こう側から ご先祖さまが あなたを拝んでいる
今年の施食会(おせがき)法要後、静岡県立大学教授、高木桂蔵氏をお招きしてお話を頂きました。 高木桂蔵教授は、風水に詳しいことで有名ですが、その風水の元になっている「道教」の教えのなかに、「お墓の向こう側でご先祖さまがあなたを拝んでいる。あなたはお墓や仏壇の前でご先祖さまに拝まれているんだ」という思想があるという話をしてくださった。 あなたのことを一番大切に思っているのは、あなたの両親や祖父母などであることは間違いありません。 それは亡くなってしまっても同じ事です。仏壇の向こうで「元気でやっているか?」「困ったことはないか」などとあなたの身を案じてくれているはずです。 あなたもお墓や仏壇の前で、向こうにいるご先祖さまに「元気でやっているよ」「こんなことで悩んでいるよ」などと話をしてください。 |
いつ死んでもいいと思うのが悟りではなく、平気で生きているのが悟りであった 永平寺貫首、宮崎奕保禅師のお言葉です(一部改変)。 昨年、NHKで、『永平寺、104歳の禅師』というドキュメント番組がありました。その中でこんな話がありました。(一部改変) 禅師は、69歳の時、肺結核を患った。もう天井がかすんで見えない。ああこれで死んでもいいと思った。でも、絶対安静にもかかわらず、坐禅をした。医者に叱られてまた寝床に入る。しばらくして出て行くとまた坐禅をした。 3年4ヶ月の入院生活で奇跡的に回復した禅師は、「正岡子規の「病床六尺」という本では、「人間はいつ死んでもいいと思うのが悟りだ」と述べられているが、実はそれは間違いで、平気で生きているのが悟りだった」と述べられた。「平気で生きていることは難しい。死ぬときが来たら死んだらいい。平気で生きておるときは、平気で生きておったらいい。」 |
与えるとき 人はゆたかになり 惜しむとき まずしくなる 物でも行為でも、出し惜しみなくポンとやると気持ちいいものです。 そんな時のあなたの心はとてもゆたかだと思います。 一方、出し惜しみをするといつまでもアトアジが悪いものです。 心もまずしくなります。 |
希望を持てば チャンスが来る チャンスは逃すな 先日ラジオを聞いていたら、あるミュージシャンが、「こうなりたい、と思っていれば、必ずそれを支援してくれたり、そこへ導いてくれる人との出会いがあるはずだ。それは誰にでも必ず来ます。しかし、そんなチャンスは何回もあるものではない。だからそのチャンスを見逃すようなことがあってはいけない」というような事を言っていました。 それを聞いていて、そんなもんかなぁ、と私は思いました。自分の思い通りにならないのが人生です。 「お金持ちになりたいなぁ」とか「初恋の女の子に会いたいなぁ」なんていう希望はまず叶いませんね。 でも、損得を超えた未来に向かう希望なら、チャンスが来るように思います。具体的には書きませんが、私のところにも来ました。だからきっとみなさんのところにも来ます。だから、いつも希望を持って、そしてチャンスだと思ったら逃さないでください。 |
少年老い易く 学成り難し 宗の時代の思想家朱熹(しゅき)が、若者に「月日が流れるのは早いもの。少しの時間も惜しんで勉学に励むように」と戒めて言った有名な詩。 ここに全文を載せます (読み下し文) 少年老い易く 学成り難し 一寸の光陰 軽んずべからず 未だ覚めず 地塘春草の夢 階前の梧葉 已に秋声 (意訳) 青春時代とは美しく咲く花を夢見心地で眺めているうちに既に桐の葉が秋の声を告げていた、というほど短いものである。寸暇を惜しんで学問に勤しむべし。 入学・進学のシーズンです。「少年老い易く学成り難し」です。春だと思ってぼんやりしているとあっという間に秋になってしまいますよ!! |
ひとつを やりぬく みなさんは、杉山彦三郎という人物をご存じでしょうか?では「やぶきた」は? 「やぶきた」ならご存じの方が多いでしょう。「やぶきた」は、現在日本全国の約8割のシェアを占めているお茶の品種です。この優良な茶葉「やぶきた」を発見したのが、杉山彦三郎なのです。 杉山彦三郎は、安政4(1857)年、静岡中吉田に生まれた。父は造り酒屋のかたわら漢方医を営んでいたが、彦三郎は、家業は弟にまかせて農業に従事した。当時この地は茶業の草創期で、品質は粗悪なものであったという。 彦三郎は、良い芽を摘むにはどうしたらよいか思案し、品種選定や改良について学問的基礎知識がないまま、試験を繰り返し続けた。しかし品種改良という概念が無い時代、品種改良に没頭する彦三郎は異端視され続けた。 明治41年(1908)谷田の試験地に隣接した竹薮を開墾した茶園の中から2本を選抜し、北側のものを「やぶきた」南側のものを「やぶみなみ」と命名した。これが「やぶきた」のはじまりである。 しかし、周囲の理解は得られず、昭和9年(1934)、谷田の試験地を茶業中央会議所に取り上げられ、二十数年の研究成果である茶樹は、山積みにして焼却されてしまったという。 六十余年に及ぶ品種改良の功績を残しながら、「やぶきた」の隆盛を見ることなく、彦三郎は昭和16年(1941)2月7日、84歳で生涯を閉じた。 「やぶきた」が本格的に普及をみたのは戦後になってからである。霜に強く収穫が安定していることから、「やぶきた」は昭和30年(1955)に奨励品種に指定され、茶輸出、改植新植ブームに乗って爆発的に普及した。現在全国の8割、静岡県内では9割のシェアを占め、それまで植えられていた在来種に取って代わった。 杉山彦三郎の人生を見ていくと、「ひとつをやりぬく」というのはとても困難な事だなぁ、と思います。生きている間は、自分のしている事が認められないことだってあるのです。でも自分が「これだ」と思った事を、誰から何と言われようとやりぬく事こそが大事なのだと思います。 |
百里を行くものは九十を半ばとす (「戦国策」より) 「里(り)」というのは、昔の距離の単位で、日本でいう一里は約4kmです。中国の一里は約500mだそうです。これは中国の格言なので「百里」とは50kmくらいでしょうか? 百里の距離がどのくらいか、ということはさておきまして、百里の道を旅するものは、九十里まできてようやく半分まで来たと考えるくらいがちょうど良い、ということです。 何事もゴールが見えてくるとつい気を緩めてしまうものです。最後まで気を引き締めて慎重にしなければなりません。 |
あかるい笑顔 百福をまねく 近所のお寺の住職さんが、この言葉を書いたポスターを下さったので、今月はそのまま使わせていただきました。 笑顔は大切。笑うだけで福が来るのです。「笑う門には福来たる」とも言うじゃないですか!! 今年も笑顔でいきましょう!! |