庚申(こうしん)信仰

「庚申(こうしん)信仰」
 中国の道教で説く三尸(さんし)説を母体としている。
 「庚申=かのえさる」の夜、人の体内に住む「三尸(さんし)」という虫が、その人が熟睡している間に、天に上って、閻魔さまの眷属である「司命」(閻魔大王の眷属参照)に善悪の報告をするそうである。大きな罪は300日、小さな罪は3日いのちが奪われる、とされる。
 庚申の日ごとに常に徹夜をしていれば、三尸は天に上って司命に人の罪過を告げることができない。だから庚申の晩に身をつつしんで夜明かしをすれば、早死にを免れて長生きをすることができる。 このような思想を「庚申信仰」と呼ぶ。
 平安から室町時代までは、徹夜の時間つぶしに詩歌管弦をはじめとする種々の遊びをしたが、室町中期より、青面金剛など崇拝対象の前で勤行をするように変わった。このような行事を行うことを「庚申待(こうしんまち)」という。
 行事の主体が16世紀には、農民や町衆などにひろがっており、やがてこうした行事を行うグループが「庚申講」と呼ばれるようになる。
 江戸時代に入ると、庚申講は各地で結ばれるようになり、60日に一度の庚申待を、年6回で3年連続して18回実施すると、供養のために、庚申塔や庚申塚を築くことが一般に行われるようになった。
 注)鳳林寺周辺地区の庚申塔を調査すると、例外があるものの、ほとんどが60年に1度「庚申」の年に建てられている。(2003.3.15)
 戦前は集会・結社が禁止されていたので、宗教上の集まりである「庚申講」を利用し、地域の会議をしていたそうです。「話は庚申さん」という言葉があり、この言葉からも村の取り決めを庚申講でまとめていたことが想像できる。(中之郷 服部氏談)
(参考:日本史大事典 国史大辞典 望月仏教大辞典)

静岡市清水中之郷地区の庚申信仰

 平成16(甲申)年2月11日(庚申)、鳳林寺にて「庚申納めの式」を行い、中之郷の庚申講は消滅した。
 それ以前は、講の仲間で、当番を回し、当番となったお宅で、掛け軸をかけ、お供えをして、一杯やって終わりという内容だったという。
 かつては徹夜をしていたといいます。

庚申待の時使う掛け軸
 静岡市清水中之郷地区の庚申講で使用されていた掛け軸を紹介します。(庚申講を閉じたため、現在は鳳林寺所有)
 かつては3つの講があったというが、現存する掛軸は以下の2講4本。

 まずひとつめ。
「開運 守護 大國主命」

 多くの文献では「神道では庚申の日にサルタヒコを祀る」となっているが、ここではオオクニヌシノミコトがお祀りされている。

 かつて、甲子(きのえね)の日に「ねこう」と呼ばれる講が行われており、それの守り本尊がオオクニヌシノミコトだという。
 庚申と甲子は4日違いなので、「こうしんさん」と「ねこうさん」を同じ日におこなっていたのだろう。

「大國主命」と書いてあるところに押してあるハンコは、仏教で使用する「三宝印(さんぼういん)」(仏法僧宝と書いたもの)が上下逆さまに押してあった。(このことから仏教というより民間信仰として信仰されていたことがわかる)

伝 青嶋義平氏(講のメンバーの1人)画
「庚申搆社 明治二十四年初秋書之」。
「搆」が「ごんべん」でなく「てへん」である。
ちなみに明治24年は「辛卯(かのとう)」

もうひとつ。
「開運 守護 大國主命」
こちらもオオクニヌシノミコトでした。
青面金剛童子。
鬼をふみつけています。
手前には三猿(見ざる・言わざる・聞かざる)と、2羽(つがい)のニワトリが描かれています。
お供え物のような物も描かれています。

 こちらの講は、平成16年に講を閉じるまで、年に1回出雲大社にお詣りに行っていたそうです。
 出雲大社の本尊は大國主命です。
 徹夜で行った「遊び」は「回り将棋」というもので、4人で行うすごろくのようなものだそうです。これも少額のお金を賭けて遊んでいたようです。
 昭和55年の庚申の年に新たに庚申塔を建立しました。

その他庚申の情報

・草薙地区(中之郷の東隣の地区)では、百人一首の札を使って、ばくちのような遊びをしていたそうです。ばくちといっても、金額は「何銭」という安い金額だったようです。なんといっても「眠らない」ことが目的ですから。

・静岡市清水在住の佐野氏が、子供の頃庚申講に参加した思い出を語るには、神社の社務所で庚申講は開かれており、そこでは、とりめしが振る舞われていたとのこと。食糧難の時代だったので、たらふく食べさせてもらえる庚申講が楽しみだった、とのこと。
 「申」の次の日は「酉」。「とりめし」を食べることで、早く酉の日が来ることを願ったのでは?(2002.9.15)

・静岡県川根町身成の植田さんの話では、この地域では25軒が参加しており、年2回だけ庚申講をしているとのこと。
 20年前までは個人家の順回りであったが、集会所ができてからは、そこでやるようになった。
 班の集金常会もかねている。刺身と漬物ぐらいで飲み食いするそうです。
 お開きの前に、女性を除く全員が、青面金剛童子の掛け軸に向かい、年輩者が前方に座り、若い人たちが後方に立ち、
 「ナム、ボンゼン、タイシャク、コンゴウドウシ」と唱え、座っていた人が立ち、同時に立っていた人が座る、このくり返しを数回行うそうです。
 本来は100回行うそうですが、25軒(参加人数)で割って4回でもいいそうです。
 お供物は1パイの山盛りのご飯で、この後わけて食べます。
 近くの、別の班でも庚申講があるそうです。そこもほとんど同じのようですが、飲み食いのつまみは、鯖の煮付けだそうです。(2002.9.15)

・静岡市清水谷田「東光寺」には、昭和55(庚申)年に庚申さまの法要を行った時の記念写真がある。
 写真には、当時の住職と、法要に参加した人達が写っており、後ろに「庚申さんのご詠歌」と書いた紙が貼ってある。
 一部判読できない部分(”−−”とした部分)もあるが、以下の通り。
 「(1)ひたすらに庚申の徳したい−− 南無や青面金剛童子
  (2)夜を込めて祈る願いは−− 罪過消えて−− 陀羅尼
  コーシンデー コーシンデー マイダレ マイダレ ソワカー」
  「ご詠歌」となっているので曲が付いているのかもしれない。
  そのあたりを、現在の東光寺住職に尋ねたが、この歌詞についても曲についてもよくわからないとのこと。
  60年に1度、庚申の年に法要をおこなっていた、ということくらいしかわからない、とのことでした。
  また、写真に写っている人たちも現在は生きておらず、詳細は不明。(2002.12.1)
  尚、この寺の境内には、数本の庚申塔が建立されている。 (2003.3.15)

・私の取材担当で、「草薙すくえあ」の「第19回なんじゃこりゃ」にて「庚申塔」を紹介しました。(2003.2.15) 

・静岡市清水有東坂には「庚申堂」というお堂がある。普段は、老人会の集会などに使われているそうだ。
 お堂の奥には厨子があり、中に青面金剛童子像が祀られている。高さ30cmほどの木像で、3面6臂。
 (ただし、普段は秘仏となっており、厨子は開いていない)
 尚、現在、この地域に庚申講は残っていない。(2003.05.01)

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