閻王寺縁起

慈雲山 閻王寺

 かつて、清水市中之郷の東海道沿いに、「閻王寺」というお寺があった。
 創建年不明。
 開基は、一間全鎖首座 寂年不詳。
 本尊の閻魔大王像は、竜爪山近くの平山村から切り出された1本の大木から、三体の仏像が制作されたうちの一体とされる。  他の2体についてはこちら
 鎌倉時代の仏師、運慶の作であるとの伝もあり。
 閻王寺は明治10年に火事のため廃寺となり、閻魔大王像は、鳳林寺本堂内に安置された。
 現在は、鳳林寺薬師堂(熊野神社境内)に安置されている。

 昭和53年、鳳林寺本堂から、薬師堂に移動した際、閻魔像の塗替えを行った。
 寺の本堂にあった時は、像の傷みが激しく、体中に紙ツブテが付いていたので、それをはがしたところ、残っていた塗りもツブテと共にはがれてしまい、結局今のような修繕塗変えをしなければならない状態であった。
 尚、この像には胎内佛が納められていると、郷土誌に書かれているが、確かに修理の際、大王の像の中に白木の像が横向きに入っていたことが確認されている。(「ふる里東豊田」 静岡市東豊田小学校PTA より)
 残念ながら、現在胎内佛の存在は確認できないため、大きさ、何の仏像かなどは不明。また、修繕前、多数の紙ツブテが体中に貼り付いていたのだが、この紙ツブテは、和紙を口に含み、口からその和紙を飛ばして貼り付けたもので、こうすることにより、貼り付けたものから力がもらえるという信仰があったようだ。 仁王像などにも似たような紙ツブテが 貼られていることがあるが、それも同じ理由からであるらしい。

閻魔大王 司録 司命 罪状秤+人頭杖
写真:左から 司録 罪状秤+人頭杖(手前) 閻魔大王 司命

  閻魔坂

 江戸時代の話。閻王寺の前で、落馬したり、怪我をする者が続出した。
 当時の人は、旅人が馬に乗ったまま通り過ぎることが、閻魔大王に対して礼を失した「たたり」であると考え、参勤交代の大名であっても、馬から降りて通るようになったという。これを聞いた閻王寺の住職は、旅人の安全を祈り、供養を行い、胎内佛を後ろ向きにしたという。すると、その後通行者に事故等が起こることがなくなったそうである。

 有度郷土誌によれば、江戸時代、閻王寺の門前を閻魔坂といい、徳川時代駅路の開かれた当時は駿府(静岡)−江尻(清水)間における最難所として行人を悩ませた急峻の坂であった。
 閻王寺の前で、落馬や怪我人が多く出たのも、実は坂が急であったためと考えられる。

 明治維新後、坂は幾度か頂点を切り下げ、勾配を緩くしたので、現在は急だったという「閻魔坂」は偲ぶ影もない。

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