写真 | 読み方 | 意味・いわれなど | 作者紹介 | 備考 |
(画) 達磨 (賛) 一語嘲梁帝 群臣皆熱瞞 無情鈍致僕 太怪化縁寛 |
菩提達磨(ぼだいだるま)は、中国禅宗の開祖とされているインド人仏教僧である。達磨、達磨祖師、達磨大師ともいう。 10月5日の達磨忌にちなみ、展示した。 |
(丘)大潤宗潭(1860(万延1)~1921(大正10)) 尾張(愛知県)の人。万延元年9月出生。竜泉寺桃見未徹の法嗣。 西有穆山について「正法眼蔵」を参究し、その蘊奥を究めた。 明治32年曹洞宗大学林学監兼教授となり、同36年第1回曹洞宗教育会議員に任ぜられた。同38年5月、森田悟由の発願によって創設された眼蔵会の第1回目講師として西有穆山の委嘱を受けて出講した。 大正2年「室中三物秘辨」「教授戒文」「一心戒文」を校訂刊行し、同6年には永平寺監院 となり、翌年曹洞宗大学長になった。この間、美濃(岐阜県)洞雲寺・但馬(兵庫県)養源寺・伊豆(静岡県)修善寺・肥後(熊本県) 大慈寺に住し、門下からは丘球学・沢木興道・橋本恵光等の宗師家を出している。 大正10年4月、京都に紫竹林学堂安泰寺を開設する。 同10年8月17日示寂。世寿62。遺著に「曹洞宗意綱要」がある。 |
H30.10 本堂 R05.10 本堂 |
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(火伏一字龍) | これを懐中に収めて落雷を免れたり、日照りに降雨の利益があったなど、数々の霊験により、鎮火の護符として知られてきたものです。 | 不明 | H28.11 本堂 R05.10~12 客間 |
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(左から読む) 賞観 天上 月不 夫手 中珠 |
丘球学(1877~1953) 明治10年愛知県岡崎市出身。14歳で出家。 大正4年伊豆修禅寺38世住職になる。 (この頃、鳳林寺六世賢明和尚が修禅寺で修行をしていた) 昭和12年永平寺後堂に就任。 昭和22年、永平寺西堂に就任、 昭和27年、永平寺初代副貫首。 昭和28年、修禅寺にて遷化。世寿77歳 |
H27.10 寺務室 R05.10 寺務室 |
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直指人心見性成仏(じきしにんしんけんしょうじょうぶつ) | 真理は自己の心の外にあるのではなく、自己の心のなかにこそ発見される。真理であるその自己の本性をみるならば、仏となることができる、という意。 | 「大乗天巌」の署名あり。 | H27.9.1~9.15 本堂 R05.10~12 新庫裏 |